大人気ドラマとなった「暴君のシェフ」
三ツ星シェフが500年前の朝鮮にタイムスリップし、フレンチ料理と宮廷料理を組み合わせ、権力闘争をテーマにした史劇です。
暴君のシェフの時代背景には、
朝鮮王朝史の中でも特に波乱に満ちた16世紀初頭の歴史が背景にあります。
作品に登場する王様・燕山君(ヨンサングン)は、
実在した朝鮮王朝第10代国王です。
暴君として歴史に名を刻んだ人物です。
- 暴君のシェフ 時代背景
- 実在した燕山君の人物像
- ドラマとの違い
暴君のシェフの時代背景はいつ?

tvN公式
「暴君のシェフ」の舞台は、16世紀初頭の朝鮮王朝です。
建国から約100年が経過し、
儒教を国是とする体制が固まりつつあった時代とされています。
その一方で権力闘争や派閥抗争が激化した時代でもあり、
国の基盤は不安定さを抱えていました。
特に燕山君の治世(1494〜1506年)は、「暴政の時代」と呼ばれます。
学者や官僚が大規模に弾圧され、
庶民には重税が課せられたと記録に残っています。
この時代は、社会は不安に満ち、庶民の生活は困窮し、
飢えに苦しむ人々が増えていきました。

ドラマ内でも、物語序盤は暴君のとかしていたわよね。
ドラマでは歴史的混乱とフィクションが交錯することで、
物語に奥深さが生まれました。
暴君のシェフの王様の燕山君(ヨンサングン)どんな人物?

tvN公式
燕山君は朝鮮王朝第10代国王(在位1494〜1506年)です。
歴代の王の中でも最も悪名高い「暴君」として知られています。
わずか12年の治世でした。
その苛烈な行動は朝鮮史に強烈な影を落としました。
- 出生と母親の悲劇
- 暴政と粛清
- 贅沢と浪費
- 廃位と最期
調べていくうちに、
燕山君の人生を見ていくと単に暴君なわけではなく、
背景に悲しい事実、理由があるようにも感じました。
①出生と母親の悲劇
燕山君は、第9代王・成宗の長男として生まれました。
しかし、母である尹氏(廃妃尹氏)は、
後宮内の争いや派閥対立の結果、
毒殺されるという悲劇に見舞われました。
この出来事は、幼少期の燕山君に深い心の傷を残し、
後の性格形成に影響を与えたといわれています。

ドラマの中でも母親の死について調べていましたよね!
②暴政と粛清
燕山君は、即位当初こそ学問や芸術に関心を示しましたが、
次第に猜疑心と権力欲に取り憑かれていきます。
彼に逆らう学者や官僚は次々と弾圧され、粛清され、
特に「戊午士禍(1498年)」と「甲子士禍(1504年)」は有名です。
朝廷の多くの文臣が犠牲となった時間として歴史に残っています。
これにより朝鮮王朝の学問や文化の発展は停滞し、
知識層の基盤が大きく揺らいだとされています。

ドラマの中でもジヨンは、暴君であるイホンの未来を知っているため、暴君のならないでと願っていましたよね。
③贅沢と浪費
燕山君は豪華な宴会を頻繁に開き、
数千人もの女性を宮廷に集め、
酒や歌舞に耽溺しました。
庶民からは重税を取り立て、彼の浪費を支えるために人々は困窮。
記録によれば、
彼が作らせた娯楽施設は王宮の予算を圧迫し、
国庫を著しく枯渇させたと伝えられています。

ドラマの冒頭でも貢女を献上させるなどやりたい放題でした。しかし、ドラマ内で母親の死の真相を探るためにしていたと理由付けられていましたね。
④廃位と最期
燕山君の暴政が頂点に達した1506年、
ついにクーデター(中宗反正)を起こしました。
それより燕山君は王位を追われ、
庶人に落とされ流刑地へ送られたとのことです。
その後、間もなく36歳で燕山君は病没し、短くも苛烈な生涯を閉じました。

ドラマを見ていると本当は優しいが、暴君であったことで、若くして亡くなってしまった悲しい王様であるように感じますね。
暴君のシェフのドラマと歴史の違いは?

tvN公式
そのため、実際の歴史には、宮廷料理人と燕山君との交流の記録は残っていません。
ドラマでは「料理」を媒介に、
王と周囲の人々の関係を描き出します。
史実上は冷酷な暴君である燕山君も、
ドラマの中では、ジヨンによる料理を通じて
まるで別人のように変わっていきました。

ドラマでは、明との政治的駆け引きに料理対決をするなど
フィクションである内容が多く盛り込まれています。
ドラマ『暴君のシェフ』の最終回ネタバレについてはこちら!

暴君のシェフの王様の燕山君に対する評価

tvN公式
暴君のシェフの燕山君は長らく「暴君」としてのみ語られてきました。
しかし、現在は歴史学者たちにより色々な評価があるようです。
暴君としての評価としては、
残虐な行為や浪費が強調され、典型的な暴君として記録されています。
特に学者層を大量に粛清したことは、
朝鮮史上最大の暗黒期の一つとされます。
また悲劇の王として、母を毒殺された幼少期の環境、
王権の圧力と孤独が彼を歪ませたとする同情的な見解もあります。
歴史学者によっては、
「個人の性格の問題ではなく、制度や時代の矛盾が彼を暴走させた」
と指摘する声もあります。
文化的側面の評価として燕山君は、歌や詩、芸能を愛し、
芸術活動に積極的だったことも知られています。
過度な浪費と享楽の影に隠れがちですが、
文化振興に関心を示した点は、後世の研究で再評価されるべきところもあるとされています。
彼の治世の混乱は、結果的に大臣たちによる改革を促す契機となりました。
つまり燕山君の暴政は、
後の政治体制を改善する“負の教訓”として歴史に刻まれています。

燕山君は、一面的な「暴君」というイメージだけでなく、
悲劇性や文化的関心を持つ王としても
現在また再解釈されつつあります。
まとめ
「暴君のシェフ」の時代背景は、
治世という混乱の時代にあります。
歴史上での燕山君は暴君として恐れられました。
その背景には、母の死や王としての孤独など、悲劇的な要素もあります。

ドラマでは、料理を通じて彼の人間性を描き出すことで、
単なる暴君像に留まらない複雑な人物像を浮かび上がらせています。
韓国の歴史について私たち日本人も
より深く理解でき、楽しみながら学ぶことができます。
暴君のシェフの感想についてはこちら!

暴君のシェフの降板俳優についてはこちら!

ドラマ『暴君のシェフ』のパクリ疑惑についてはこちら!

コメント